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「指導者に対する態度」テモテへの手紙第一 5章17-25節

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霊的な働きをすることは、祝福も大きいですが、その分、責任も大きく、受けるさばきも大きいのです。ですから、日常的に、霊的に自分を見張る必要があります。簡単に按手してはいけない、というのも頷けます。
神のために働く者に対して、軽々しく批判してはいけないと言っています。その働きは尊敬をうけるべき働きだからです。経済的にも報酬をうけることは、当然でもあるとも言っています。
しかし、私たちは、罪を犯す者です。罪を犯しているものをそのままにしておくことはできませんから、注意をするのですが、それには2~3人の証人がいるとも言っています。一人の思いだけでは、偏った見方になるといけないからです。
 
長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。(19-20) 
 
罪は、誰にでもありうることです。罪を厳しく責めるのは、神のさばきを恐れるため、つまり神ご自身をおそれることを覚えるためです。神は、愛なる方ですが、罪は必ず裁くお方です。そのことをしっかり覚えて、自分を聖く保つことに心がけないといけません。霊的な働きをしていると、罪にかかわる機会がとても多くなります。相談を受けたり、助けを求められたり。
しかし、その関わり方には十分、注意する必要があります。助けないというのではありません。正しく導くことは必要です。
しかし、それが自分の聖さに影響を及ぼす場合があります。
罪に関わるなというのはそういうことです。
隠れた罪も善行も、必ず明るみに出ます。神の前に聖くあることを第一にしてゆきたいですね。
 
ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。同じように、良い行いは、だれの目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません。(24-25)
         
         (12/14礼拝出席者のメモより)
 

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