こうして毎週日曜日、礼拝できることは、すばらしい特権です。キリストの福音は、人類にとって大きな特権、神のあわれみによる大きな恵みです。それを無視しているなら、それは大変な損をしていることになります。そこでパウロは、すべての人のために祈りなさいと勧めています。
そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(1節)
私たちは、大きな特権と同時に神からの使命も与えられています。自分自身の環境を整え、人のことも心にとめ、祈れるようにしていることが求められています。高い地位の人のために祈ることは、そのまま私たちの生活の安定にもかかってきます。自分の思いをそのまま神にゆだねて祈る生活は、私たちの心を感謝の思いで満たしてゆきます。不平が出るのは祈っていなからです。祈ることは私たちの信仰の安定につながります。それは神の喜ばれることだとパウロも言っています。
それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。(2-3節)
神の願いはすべての人が救われることです。命は一つであり大切なように、神は唯一であり、イエスキリストは唯一の仲介者です。真実の信仰は一つ、これに至る道も一つです。イエスキリストの十字架は、今まで生きてきた人々、そしてこれからの人々も含めて、すべての人のためです。
これは、真理です。真理はひとつです。
パウロは自分の役割として、この信仰を伝えること祈ることをテモテに委任しています。これは、今、聖書を読む私達への委任でもありますね。
すべての人のために祈れるように、日々、祈って自分自身を整えてゆけますように。
神に喜ばれる歩みができますように。
(10/26礼拝出席者のメモより)